信仰の弱い者を受けいれなさい。(…)ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。(ローマ人への手紙 14:1-3 より)
信仰のことに限らず、誰かを「裁く」のは大きな誘惑なのかもしれないとよく思います。
「裁く」というのは「あの人はダメだ」のように決めつけることです。誰かを裁きたくなる気持ちというのは、自分を神とする誘惑ではないでしょうか。
「あの人は、人を裁いてばかりいるからダメだ」というのは「メタな裁き」になります。これもまた大きな誘惑です。