2019年07月26日(金)


質問

教会にいくと「神様が見ててくださるからがんばろう!」と思えるときはあります。でも現実では「神様が見ててくださるならなんとかなるだろう」とダラダラする言い訳に使うことの方が多く、後悔してしまいます。神様を言い訳に使わないようにするにはどうすればよいでしょうか。

回答

神さまを言い訳に使ってしまうというのは、ある意味では神さまに信頼して甘えているともいえますが、神さまを道具のように見ているともいえますね。神さまが「すぐそばにいる」ということを実感として体験していないともいえます。

「天の父なる神さま」と、神さまにきちんと呼びかけて祈りましょう。「私を愛してくださる本当のお父さん」と呼びかけてもいいですね。祈りを通して、神さまときちんとつながるということです。

神さまはすべてをご覧になっていますが、神さまからあなたへの片方向ではなく、あなたから神さまへの応答もあるといいですね。それが祈りです。あなたの願いや、困りごとや、誰にもいえないこと。それをそのまま、神さまにお伝えするのです。

「ここで頑張ろう」「ダラダラしたぞ」「ああだめだ後悔してしまう」…それらは、私たちが考えて判断していますが、そもそもその判断自体、全能ならぬ私たち人間が行なっていますので、果たしてどこまで正しいのか怪しいものです。どんな活動も、神さまの秩序の下に置くこと。そこに至るのは祈りです。

あなたの毎日が主に守られ、導かれますように!


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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki

『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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