結城先生のサイトに巡りあえて感謝します。
今まさに先生の言う「信仰の入口」にいます。細かいことが気になり一歩が踏み出せません。
たとえば「あの世でみんなに会いたいけど、キリスト教を信じていない人とは会えないのか」とか、「仏教の教えに納得できる。仏教を信じている人たちはどうなってしまうの?」とか。
ぐるぐるぐるぐる考えています。ぜひ教えてください。よろしくお願いいたします。
主の御名を賛美します。信仰の話はとても繊細な部分がありますので、私が話すことがあなたのいまのお気持ちに合うかどうかはわかりませんが、少しだけお話しします。
私の話はあくまで私が個人的に考えていることであって、あなたに押し付けようとか、この考え方以外は間違いだと言いたいわけではありません。また、「キリスト教を代表する考え」のような大それた話でもありません。あくまで現在の私個人の考えです。
私が信仰を得たときには、私自身がにっちもさっちも行かなくなったときでした。私はどうやら自分一人の力では生きていけないようだと深く深く自覚したときです。自分というもの、自分の存在がいかにちっぽけであっという間にかき消える存在だと自覚しました。
いまはこのように言葉でそのときのことを書き表すことができますが、当時はそれもできませんでした。ただ、ただ、途方に暮れていたのです。
そしてイエスキリストの救いを信じ、神さまが愛の源泉であり、私のことを丸ごとそのまま高価で尊いものだと扱ってくださっていたことを知り、いわば九死に一生を得たのでした。
そのときの私は、とうてい「他の人」のことを考える余裕はありませんでした。というとやや語弊があるかも知れませんが、自分は崖っぷちギリギリにいたのだとご理解ください。
少し話はそれますが、信仰のありようというのは、他者からはなかなかうかがえないものだ、とよく思います。つまり、誰かが誰かに対して、あの人は信仰深いとか、あの人の信仰は弱いとか、そんなことを決めつけることはできない(そんなことを識別するのはとても難しい)と思っています。
もちろんその人の行いによって、良いことをしているとか、悪いことをしているというのはある程度わかるかも知れません。でも、その人がどのようなハードウェアの制約を持って生まれてきたのかまでは、周りから知ることは難しいと思うのです。それこそ、神さまでなければわかりません。
生まれつきの境遇や、悲惨な環境の中で、どうしても悪いことをしてしまう気持ちに負けてしまいそうになるけれど、そこを必死で踏みとどまろうとしている人と、たまたま楽な環境に置かれたために苦も無く良い行いをできる人とを比較するのは意味がないと思うのです。
何の話を書いているかというと、私が信仰を得たときというのは、他の人が(キリスト教的な意味で)救われるか否か、天国に行けるか否か、それを必要以上に気にする前に、自分の救いが私は気になったということです。
「あの人とは天国で会えないの?」や「あの人は仏教を信じてるけど、どうなるの?」と思うことはとても自然ですし、それを悩まれるのもわからないではありませんが、まず自分の救いを考えた方がいいのでは、と私は個人的には思うのです。
なぜならば、「あの人と天国で会えないならば私も天国には行かない」と考えたとしても、もしかしたら、実のところ「あの人」は最終的にキリストを信じて神さまに天国へ引き上げられ、あなたは自分から天国に行く道を拒否して取り残されてしまうかも知れないからです。いわば入れ違いです。それは、ものすごく悲しいことであると私は思います。
人が、心の底で、本当には何を信じているか。それは他人にはわかりません。本人と神さまだけがご存知です。そしてまた、この世を去る間際に人が何を思うのかもまた、他人にはわかりません。
ものすごい極悪人でも、キリスト教なんて知ったこっちゃないと公言していた人でも、この世を去る間際、意識が薄れかけた中で、「ああ、私は自分勝手に生きてきてしまった。イエスさま。私のこれまでの罪をゆるしてください。あなたの十字架の救いを信じます」と祈ったかどうか。それは他者には絶対にわかりません。
ですから、もちろん自分の親しい人とともに天国へ行きたいと願うのは自然なことですけれど、他人がどうなるかを頼りにして自分の信仰の一歩を踏み出し損ねるのはまずいのではないか。私はそのように思います。
繰り返しになりますが、これはあくまで私個人の考え方であって、あなたに押し付ける気持ちはまったくありません。また、このように考えることが正しいかどうかもわかりません。ただ、私が信仰を得たときの状況についてお話しし、また、他人の信仰をあれこれ考えすぎることの危険性についてお話ししただけです。
私からの回答は以上です。ご質問ありがとうございました。あなたのこれからの信仰が神さまによって導かれますように。
「信仰の入口」で質問した者です。幼稚な質問にもかかわらず答えていただきありがとうございました。
先生のおっしゃる通り他人の心の内はわかりません。自分が信じられるのかどうかですね。今後も自分の心を見つめてみます。
ありがとうございました。