仕事でできることが増えていき、表彰されるようなアウトプットを出せば出すほど、自分の出すアウトプットには価値があるけれども、自分自身には価値があるとは思えなくなってきました。
結城先生はどのようにして自尊感情を保っていらっしゃいますか。
ご質問ありがとうございます。
結城のところには、いろんな方からのご質問がやってきます。アウトプットが出せなくて自分に価値がない悩みは多くやってきますが、アウトプットを出せば出すほど自分に価値がないという悩みが送られてくることは比較的少ないです(もちろん、その悩みが多いことは理解しています)。
私自身は、自分のアウトプットと自分自身の価値は無関係だと思うようにしています。つまり、良い仕事をして自分自身の価値が上がるわけではないし、良い仕事ができないと自分自身の価値が下がるわけでもない。そのように考えるようにしています。
それは一言でいうならば「自分を無条件に愛する」ということです。「〇〇できるから愛する」や「〇〇できないから愛さない」ではありません。〇〇できてもできなくても、私は私である。いまここに生きている大切な存在なのだ。そのように思っています。
その根底にはもちろん、聖書の神様を信じる気持ちと、私は神様に創られた存在であると信じる気持ちがあります。神様が創った存在である自分を、そのまま受け入れるという気持ちです。
何か良い仕事が出来ること、アウトプットできることは素晴らしいことです。でもその良い仕事がどこから生まれたか、そのおおもとをしっかり考えるならば、自分自身に由来するものは何ひとつないことに気づきます。私たちは一人の例外もなく、無力な裸の存在としてこの世に生まれたのです。言い換えるなら、すべては与えられたものなのです。
そのように考えると、良い仕事ができるというのは他者に感謝すべきことです。そして、感謝するのはとてもいいことです。
あなたへのおすすめとしては、良いアウトプットを出せることを大いに喜ぶこと。またそれを感謝することです。そして、自分のアウトプットと自分自身の価値を結びつけるのではなく、むしろ自分のことを「忘れる」くらいに思う習慣をつける方がいいです。
自分のことを忘れるというのは、自分を蔑ろにするという意味ではありません。そうではなくて、一つ一つ「これだけ仕事したから自分に価値は出てきたかな?」と確かめようとする習慣をやめるということ。
私の座右の銘は「いつも喜び、たえず祈り、すべてに感謝」です。これは聖書の言葉をもとにしています(第一テサロニケ第5章)。
自分のアウトプットと自分自身の価値を分離できると、解放と自由を得ます。そしてのびのびと活動ができます。アウトプットが全滅しても成功しても土台はゆらがないからです。
人は愛によって生き、愛の源泉は神です。私は神様から愛を供給していただいて生きています。私がこの世で成功しても失敗しても神様からの愛は変わりません。だから私は「いつも喜び、たえず祈り、すべてに感謝」して人生を生きることを願っているのです。
以上です。ご質問ありがとうございました。