なまけ者よ、ありのところへ行き、そのすることを見て、知恵を得よ。ありは、かしらなく、つかさなく、王もないが、夏のうちに食物をそなえ、刈入れの時に、かてを集める。(箴言 6:6-8)
旧約聖書の箴言(しんげん)は、教訓的な内容が31章に渡って続きます。英語ではProverbと呼ばれています。一日一章読むとほぼひと月で読み終えるという手ごろな長さです。でも、その一つ一つはなかなか厳しく、表現には容赦がありません。
もしも、自分が何かやらかして、他人から箴言の一節を送りつけられたとしら、かなりムッときそうです。だからこそ、自分で普段から読んでおいた方がいいのだろうな、と私は思っています。
箴言では、さまざまな種類の「誘惑」に対する警告が表現を変えて繰り返されます。
箴言には、もしも親から言われたら子供としては反発したくなる内容もたくさん書かれています。ところがそれは、親の立場からすると何とかして子供に伝えたい内容でもあったりするのです。
箴言には、現代広く見られる価値観(たとえばテレビ番組でよく見かける価値観)とは真逆な内容もたくさん書かれているので「古くさい」と感じる人もいそうです。また自由気ままに生きたいと思う人なら不都合だと感じるだろうこともたくさん書かれています。
箴言を読んで、現在の自分の判断や行動が戒められていることから、自分が否定されたように感じる人もいるかもしれません。でも、注意深く「自分自身」と「自分の判断と行動」とを区別したいものです。
結城は毎日最初のツイートを聖書からの一節にするのを心がけています。それは自分のタイムラインを清めるような気持ちになるからですし、もちろん聖書の言葉を伝えたいからでもあります。
その一方で、聖書の中には残酷な表現やどろどろしたものも描かれていますので、ツイートする聖句は注意して選んではいます。そのように「選ぶ」ことがいいことなのかどうかはさておき。聖書には、かなりきわどく艶っぽいものも出てきますが、そういうものもあまりツイートしてませんね。
気がつくと結城は、聖書を読み始めて人生の半分以上が過ぎています。あまり自慢できる読み手ではありませんし、聖書の言葉を守れているわけでもありませんが、聖書の言葉に触れ続けてきたことは、私の人生を守り、豊かにしています。また、深いところから私自身を支えています。それはまちがいありません。
聖書にまつわる結城の話は、こちらにいくつかありますので、ご興味のある方はどうぞ。
ずいぶん昔に書いたものはこちらにもあります。ずいぶん前といっても、たかだか二十数年なので、聖書に比べたらわずかの時間ですけれどね。