2020年04月30日(木)


合成音声による朗読

それで王はハマンに言った、「急いであなたが言ったように、その衣服と馬とを取り寄せ、王の門に座しているユダヤ人モルデカイにそうしなさい。あなたが言ったことを一つも欠いてはならない」。(エステル記 6章10節)

今日の聖書箇所は、自分に栄誉を与えようとしたハマンが、皮肉にもモルデカイに対して栄誉を与えることになってしまう場面です。

王に重んじられていたハマンに対して、モルデカイはひざまずかず敬礼もしなかった。ハマンはそれが悔しくてモルデカイを憎み、モルデカイの属する民族を滅ぼそうとしていた。ハマンは自分が重んじられるか否かに強い関心があったのだ。

そんなハマンだから、王が「栄誉を与えようと思う人にはどうしたらいいか」とハマンに尋ねたときに「自分のことだ」と思い込み、思いつく最高の処遇を述べた。もちろんそれは自分が受けることを期待してのことだ。王からの問いに対してハマンは私利私欲で答えたのだ。

しかし王が心に考えていたのは、ハマンの思惑とはまったく無関係に、モルデカイのことだった。その結果、ハマンはよりにもよってモルデカイに対し、自分の手で最高の処遇を与えることになってしまった。

この場面では、ハマンが皮肉にも自分の言葉によって憎む相手に最高の処遇を与える。後の場面では自分の言葉によって自分に悲惨な処遇を招く。いずれにおいても「その処遇を求めたのはハマン自身」であった。

マルコによる福音書(24章)でのイエスさまの言葉を思い出す。「あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう」。

マタイによる福音書(7章)も思い出す。「人をさばくな。自分がさばかれないためである。 あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう」。

王は、王が考える人に栄誉を与えたいと思う。ハマンはその栄誉を自分に与えようと考え、処遇を示す。しかし王は、その示された処遇をモルデカイに与えた。この図式は、王を神、ハマンを人とみなすことができるのだろう。

他人を裁こうとするとき、考え直した方がいい。その基準と同じ基準が自分に当てはめられることになるから。しかも、神ならぬ自分に見えている状況はほんのわずかしかないのだから。

 * * *

ひとこと祈ります。

天の父なる神さま。あなたのお名前を賛美します。今日のいちにちも、あなたが素晴らしいもので満たしてくださいますから感謝します。世界が揺れているいま、ストレスが掛かっている方もたくさんいます。どうか神さまがひとりひとりに励ましと力を与えてください。

創造主なる神さま。天地万物をお造りになったあなたにできないことはありません。愛なる神さま。私たちをあわれんでくださり、いちにちも早く事態を終息に向かわせてください。また、私たちひとりひとりが、裁き合うのではなく、励まし合うことができるように助けてください。

イエスさまのお名前で祈ります。アーメン!

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki

『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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