しかし神は、はたして地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天もあなたをいれることはできません。ましてわたしの建てたこの宮はなおさらです。しかしわが神、主よ、しもべの祈と願いを顧みて、しもべがきょう、あなたの前にささげる叫びと祈をお聞きください。(列王紀上 8:27-28)
今日の聖書箇所は、ソロモン王が宮を建てたあとの祈りです。この聖書箇所に至るまで宮の大きさや精緻さや素晴らしさが描かれてきました。しかし、ここでソロモン王は神さまの前に宮を誇ったり、自分の貢献を述べたりしません。ソロモン王は、あくまで身を低くして祈りを捧げ始めます。
この聖書箇所の後では、ソロモン王が「この宮で捧げる祈り」について神さまに祈っていく記述が続きます。
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ところでこの聖書箇所からやや離れて、結城は「神殿を三日で建てる」というイエスさまの言葉を思い出しました。イエスさまの言葉における「神殿」はご自身の身体のこと、建てるというのは復活のことです。ソロモンが建てた宮の祈りと重ね合わせて、私は自分の身体について思いを巡らせていました。自分自身は小さい存在で、神さまの前には何も誇れるものはありません。しかし、ソロモン王のように祈りを捧げることはできるのではないでしょうか。
そしてまた、マタイ21章の「宮きよめ」の場面も思います。「わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである」というイエスさまの言葉(旧約聖書の引用)を「宮という場所」について当てはめると同時に「自分自身の心」についても当てはめてみるということです。
宮が祈りで満たされるように、自分の心は神への祈りで満たされているでしょうか。本来ならば自分のような存在に神さまをお迎えする資格はないのに、神さまが愛してくださり、イエスさまが共にいてくださり、聖霊さまが力を与えてくださいます。その恵みに深く感謝します。
神さま。あなたは素晴らしい方。私たちをすべて愛してやまない方。あなたを賛美します。今日もあなたの恵みが豊かであることを信じ、感謝します。
世界中が病のために揺れています。神さま、どうか私たちをあわれんでくださり、速やかな解決を与えてください。不安のうちにある方に平安を与えてください。ライフラインを支え、医療現場を支えておられる方々が守られますように。いままさに病のうちにある方に癒しを与えてください。
対策を考えている研究者、専門家に知恵と力と勇気を与えてください。政治家が適切に判断し、迅速に行動できますように。ひとりひとりが、それぞれの場所で的確な振る舞いができますように。人にはできないことも、神さまにはできます。どうか私たちを助けてください。弱い私たちを強くしてください。
小さくて弱い存在ですが、わが神、主よ、この小さき者の祈りと願いを顧みて、きょう、あなたの前にささげる叫びと祈りをお聞きください。そして、今日もまたしっかりと歩むことができるように助けてください。
イエスさまのお名前で祈ります。アーメン!