あなたの上着のすそは、わたしの手にあります。(…)あなたはわたしの命を取ろうと、ねらっておられますが、わたしはあなたに対して罪をおかしたことはないのです。(サムエル記上 24:11 より)
今日の聖句は、サウル王とダビデの緊迫した出会いの場面です。
サウルがペリシテびとを追うことをやめて帰ってきたとき、人々は彼に告げて言った、「ダビデはエンゲデの野にいます」。
そこでサウルは、全イスラエルから選んだ三千の人を率い、ダビデとその従者たちとを捜すため、「やぎの岩」の前へ出かけた。
途中、羊のおりの所にきたが、そこに、ほら穴があり、サウルは足をおおうために、その中にはいった。その時、ダビデとその従者たちは、ほら穴の奥にいた。(サムエル記上 24:1-3)
ダビデの命を狙ったサウル王が、ふとほら穴に入ったとき、その奥にはまさにダビデがいた。しかし、サウル王はそれに気がついていない。ダビデは自分を追い続けるサウル王が目の前にいることを知る。ダビデの千載一遇のチャンスである。
ダビデの従者たちは彼に言った、「主があなたに告げて、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。あなたは自分の良いと思うことを彼にすることができる』と言われた日がきたのです」。そこでダビデは立って、ひそかに、サウルの上着のすそを切った。
しかし後になって、ダビデはサウルの上着のすそを切ったことに、心の責めを感じた。
ダビデは従者たちに言った、「主が油を注がれたわが君に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる。彼は主が油を注がれた者であるから、彼に敵して、わたしの手をのべるのは良くない」。
ダビデはこれらの言葉をもって従者たちを差し止め、サウルを撃つことを許さなかった。サウルは立って、ほら穴を去り、道を進んだ。(サムエル記上 24:4-7)
ダビデの従者は、サウルを撃つようにダビデに言う。しかしダビデはサウルを撃たなかった。ただ、サウルの上着のすそを切った。ダビデがサウル王を撃たなかった理由は「彼は主が油を注がれた者であるから」だった。ダビデは、主なる神さまの権威を重んじたのだ。
ダビデもまた、そのあとから立ち、ほら穴を出て、サウルのうしろから呼ばわって、「わが君、王よ」と言った。サウルがうしろをふり向いた時、ダビデは地にひれ伏して拝した。
そしてダビデはサウルに言った、「どうして、あなたは『ダビデがあなたを害しようとしている』という人々の言葉を聞かれるのですか。
あなたは、この日、自分の目で、主があなたをきょう、ほら穴の中でわたしの手に渡されたのをごらんになりました。人々はわたしにあなたを殺すことを勧めたのですが、わたしは殺しませんでした。『わが君は主が油を注がれた方であるから、これに敵して手をのべることはしない』とわたしは言いました。
わが父よ、ごらんなさい。あなたの上着のすそは、わたしの手にあります。わたしがあなたの上着のすそを切り、しかも、あなたを殺さなかったことによって、あなたは、わたしの手に悪も、とがもないことを見て知られるでしょう。あなたはわたしの命を取ろうと、ねらっておられますが、わたしはあなたに対して罪をおかしたことはないのです。
どうぞ主がわたしとあなたの間をさばかれますように。また主がわたしのために、あなたに報いられますように。しかし、わたしはあなたに手をくだすことをしないでしょう。
昔から、ことわざに言っているように、『悪は悪人から出る』。しかし、わたしはあなたに手をくだすことをしないでしょう。
イスラエルの王は、だれを追って出てこられたのですか。あなたは、だれを追っておられるのですか。死んだ犬を追っておられるのです。一匹の蚤を追っておられるのです。
どうぞ主がさばきびととなって、わたしとあなたの間をさばき、かつ見て、わたしの訴えを聞き、わたしをあなたの手から救い出してくださるように」。(サムエル記上 24:8-15)
とうとうダビデとサウルは会う。ダビデの主張はこうだ。自分はサウルに害さないこと、目の前にいたのにサウルを撃たなかったこと(証拠となる上着のすそ)、サウルはダビデの命をいわれなく狙うがダビデは違うこと、そして、その二人のさばきを神に委ねる宣言。
ダビデの主張には理がある。しかし、その理によってサウルを撃とうとは考えなかった。ダビデの判断の中心には神さまがいる。自分の判断ではなく、神さまの権威を重んじる態度がある。神の報いが公正であることへの信頼がある。そしてそれをダイレクトにサウルに示した。次はサウルの主張だ。
ダビデがこれらの言葉をサウルに語り終ったとき、サウルは言った、「わが子ダビデよ、これは、あなたの声であるか」。そしてサウルは声をあげて泣いた。
サウルはまたダビデに言った、「あなたはわたしよりも正しい。わたしがあなたに悪を報いたのに、あなたはわたしに善を報いる。
きょう、あなたはいかに良くわたしをあつかったかを明らかにしました。すなわち主がわたしをあなたの手にわたされたのに、あなたはわたしを殺さなかったのです。
人は敵に会ったとき、敵を無事に去らせるでしょうか。あなたが、きょう、わたしにした事のゆえに、どうぞ主があなたに良い報いを与えられるように。
今わたしは、あなたがかならず王となることを知りました。またイスラエルの王国が、あなたの手によって堅く立つことを知りました。
それゆえ、あなたはわたしのあとに、わたしの子孫を断たず、またわたしの父の家から、わたしの名を滅ぼし去らないと、いま主をさして、わたしに誓ってください」。(サムエル記上 24:16-21)
サウルは泣いた。サウルはついにダビデが正しく自分が間違いだと悟った。本来ならば失われていたはずの自分の命が保たれた。そのことを知ったときに、はじめてサウルの考えが変わったのだ。そしていまや本当の王は自分ではなくダビデであることを知った。
ダビデは主を信じる態度によってサウルを撃たず、サウルはその態度で救われた自分の命によって自分の間違いを知った。
神さま。ダビデのように主の公正を信じ、主を重んじ、主に信頼することができますように。自分の命がどこにあるか、誰によって保たれているかを思います。今日の命を保っているのは自分の力ではなく、神さま、あなたのゆえです。そのことを感謝します。
愛する神さま。あなたは大いなる方。あなたにできないことはありません。いま、世界は大きく揺れています。たくさんの方々が苦難を強いられ、不自由な生活を送っています。神さま、どうかこの事態を速やかに解決してください。薬を開発している方々の命を守り、必要なすべての力を与えてください。
たくさんの方々が不安と恐れの中にいます。神さまがそのひとりびとりに訪れてくださり、必要な平安と慰めを与えてください。しっかりと心を保ち、落ち着いて考え、必要な行動をとることができますように。
イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン!
あなたの上着のすそは、わたしの手にあります。(…)あなたはわたしの命を取ろうと、ねらっておられますが、わたしはあなたに対して罪をおかしたことはないのです。(サムエル記上 24:11 より)