加齢によって脳は老化していきますが、結城先生は、数学やプログラミング、その他知的活動において、年はとりたくないと思ったり若い人を羨んだりすることはありますか。
私は最近老化を感じはじめていて、今の自分にできることができなくなることに、不安を感じます。
ご質問ありがとうございます。
そうですねえ。歳はとりたくないと思ったり、若い人を羨んだりということはありませんが、「ずいぶん能力が落ちたなあ」と認識することはあります。
こちらの文章は、たぶんあなたの関心事にぴったりだと思います。
さて、「歳はとりたくない」や「若い人が羨ましい」というのと、「歳をとってこれがしにくくなった」というのとはまったく違います。
「歳はとりたくない」と考えるのは無理もありませんけれど、こういうセリフをついつい言ってると「口癖」になります。自分の大切な時間を愚痴のような口癖で埋め尽くすのは大変もったいないことです。口癖を一番近くで聞くのは自分の耳ですから。
「若い人が羨ましい」というのは微笑ましく感じるかもしれませんが、よくよく考えると大変いやらしい心根にぶつかるように思います。
私はむしろ、若い人を応援したい。若い人を励ましたい。少なくともそのような態度でいたいと願っています。
若い人というのは、自分がこの世から去った後もこの世にいる人のことです。つまり「若い人は未来からのお客様」ともいえます。ですから、自分が知っていることや自分が経験したことを出来るだけ丁寧に伝えたい。でも、未来は現在とは違う世界ですから、自分の考えや経験を未来からのお客様に無理強いはできない。
老いを感じるのは確かです。老いによってできなくなることがあるのも確かです。ところで、それで苦しくなるのはなぜかというと、若いまま、若いときからの活動を同じように続けたいと願うからです。しかし自分に迫る老いは、その願いを再考するようにとうながします。
変化を抱擁せよ。自分の身体的能力は、知的能力も含めて変化する。大きく変化する。だとしたら、ストラテジーを変えていくのがいい。固定は命を消す。若いままでいたいと願うのは、老いる時代を十分に味わえないことにつながる。
人生の秋の時代に差し掛かっているのに、せっかくの実りの時代に差し掛かっているのに、ああ夏の時代だったらいいのにと思い、春の時代や夏の時代を過ごしている人を羨むのは大変もったいないことだと思いますね。
むしろ逆です。春の時代を生きる人、夏の時代を生きる人には、秋の時代がどんなものかまったく想像できません。秋の時代を生きる人は、未知の、冒険の世界を歩んでいるのです。
そして、同時に、自分よりも前を歩いている冬の時代を迎えようとしている人のことも思います。それらの方々に、ふさわしい敬意を払い、丁寧に遇し、これから先のことに耳を澄ます態度でいたいものです。
歳をとりたくないと言っても、歳はとります。若いものが羨ましいと言っても、若い人には(少なくとも同じ土俵では)勝てません。それは、自分が若い時代に、年配の人を見てどう感じていたかでわかります。順番は巡るのです。
以上が、私の回答になります。
ここから先は、クリスチャンとしての一言になります。私はキリストの救いを信じているので、この世の務めを終えた後、天国に入ることを確信しています。感謝です。この世での命が尽きることには(もちろん痛みや苦しみはあるとしても)恐れはありません。私は自分がどこにいくかを知っているからです。
あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。 (旧約聖書、伝道の書12章より)
とても若いころ、私は「宗教なんて」と思っていました。でも二十代に、自分ではどうしようもないということが起こり、私は信仰を得ました。あの時代、苦しみにあったことは私の人生にとって幸いでした。妻も私を支えてくれました。
気がつけば私は五十代になっていて、親はいなくなりました。でも、私は歩んでいくことができます。それは父なる神が本当の親としていつも支えてくれるからです。インマヌエル(いつも共にいる)イエスキリストが、私のそばにいつもいるからです。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(新約聖書 テサロニケ人への手紙第一 5章16節から18節)
いつも喜び、たえず祈り、すべてに感謝して、私は残りの人生を歩みたいと願います。すべてに感謝するということは、老いをも感謝することです。感謝しようと思うとき、頭をよく使います。「老いに対して何を感謝することがあろうか」と頭を巡らせると、面白いことに、たくさん感謝することが見つかるのです。
私はいつか、この世の旅路を終えて天国に行きます。それまでの私のこの世での人生が、喜びと祈りと感謝に満ちた時間となることを心から願います。そして、人生は毎日の集積にほかなりません。ですから私は日々「いつも喜び、たえず祈り、すべてに感謝」と唱えるのです。
ぜひ、あなたも。
※文中にある「若い人は未来からのお客様」という表現は、内田善美『星の時計のLiddell』で出会った「子供は未来からの客人」という表現をもとにしています。