2019年04月25日(木)


サムエルはエリアブを見て、「自分の前にいるこの人こそ、主が油をそそがれる人だ」と思った。しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。(…)わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。(サムエル記上 16:6-7 より)

今日の聖書箇所はダビデが王として選ばれる少し前の場面。すでに主はサウルから離れ、次の王となる人に油注ぐためにサムエルがやってきたところです。

場所はベツレヘム。主に命じられたサムエルがエッサイのところにやってきました。エリアブはエッサイの息子の一人。それを見て「この人が次の王か」とサムエルは思いました。しかし神さまはサムエルに「違う」といいます。それが今日の聖書箇所の場面になります。

サムエルには、この人こそ王にふさわしいと見えました。でも、そうではありませんでした。神さまはこう言います。

「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」(サムエル上16:7より)

エッサイの息子が七人もサムエルの前を通りすぎます。しかし、誰も油注がれて「王」となる人物ではありませんでした。

この息子か? 違う。

じゃあ、この息子か? いや、違う。

七人が過ぎ、もう残っている息子は誰もいないように見えました。しかし、たった一人、末っ子のダビデが残っています。彼はその場にいませんでした。羊を飼っていたからです。

「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」(サムエル上16:12)

私は「何か」を選ぶとき、この聖書箇所を思い出します。

なぜ、それを選ぶのか。

何を見て、それを選ぶのか。

サムエルはエリアブを見て「この人こそ主が油を注がれる人だ」と思いました。しかし、自分の判断ですべてを決めることはしませんでした。神さまの言葉に耳を傾け、油注ぐ相手の判断を誤ることがありませんでした。

思い起こせば、そもそもサムエルは「しもべは聞きます。お話しください」と神さまに言った人なのでしたね。

主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」。(サムエル上3:10)

「何か」を選ぶとき、何を見て選ぼうとするでしょうか。

「きっとこれに違いない」と思ったとき、自分の判断に頼って間違いはないのでしょうか。

今日の聖書箇所は、サムエルがダビデに油注ぐ場面の少し前のところでした。あなたもぜひ、聖書をお読みください。


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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki

『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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