弟子たちの間に、彼らのうちでだれがいちばん偉いだろうかということで、議論がはじまった。イエスは彼らの心の思いを見抜き、ひとりの幼な子を取りあげて自分のそばに立たせ、彼らに言われた、「だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そしてわたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。あなたがたみんなの中でいちばん小さい者こそ、大きいのである」。(ルカによる福音書 9:46-48)
今日の聖句は有名な箇所です。イエスの弟子たちが「だれがいちばん偉いだろうか」と議論を始めました。グループ内での議論ですね。
だれがいちばん「偉い」か。
だれがいちばん「賢い」か。
だれがいちばん「金持ち」か。
だれがいちばん「謙遜」か。
だれがいちばん……と、人間はいろんな比較基準を立てて議論します。
イエスはひとりの具体的な幼な子をそばに立たせて「この幼な子を受け入れる」という話をします。そして「いちばん小さい者こそ、大きい」という人間とは違う基準を提示しました。暗黙のうちに仮定される人間の基準(自分の決めた基準)ではなく、神の視点からの基準です。
「だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そしてわたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。あなたがたみんなの中でいちばん小さい者こそ、大きいのである」。(ルカによる福音書 9:48)