シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。(ルカによる福音書 5:5)
今日のこの聖句の直前には、イエスキリストのこんな言葉があります。
「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」
これは網を洗っているシモンに対して言った言葉です。沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい、とイエスは言ったのです。
イエスの言葉に対して漁師シモンは何と答えたでしょうか。
「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。お言葉ですが、自分のやってる漁のことはよくわかってますよ。こういうときは駄目なんです」
こんなふうに「お言葉ですが」と答えたでしょうか。いいえ、シモンはこんなふうには答えませんでした。
シモンは、次のように「お言葉ですから」と答えたのです。
「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」
シモンはイエスの言葉に対して、頑固な態度ではなく、素直な態度で応答しました。気持ちとしてはもしかすると「先生、私は漁師の専門家ですぜ。こういう日は駄目。よくわかってるんだから」だったかもしれませんね、内心は。しかしシモンは「お言葉ですから」と言って網をおろしてみた。気持ちはさておき、素直に行動してみたのです。
自分の気持ちとは別に、言葉に従って行動を起こしてみるという素直な態度がシモンにあったことがわかります。そして、その態度からシモンの人生が変わっていきます。
命令に対して、強制的に従わせられたわけではありません。シモンの「お言葉ですから、やってみましょう」という態度が大きな転機となったのです。その一歩を踏み出したのは他ならぬシモン本人でした。
「お言葉ですから、やってみましょう」
今日の聖句を読んでいると、天使ガブリエルから受胎告知を受けたマリヤを思い出します。
そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ1:38)
同時に思い出すのは幼い頃のサムエルです。
主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」。 (サムエル上3:10)
聖書のあちこちに、人生の節目に大切な言葉が与えられ、それに従う場面が出てきます。予定調和のように登場人物が言葉に従う様子をそこにみます。でも、もしも自分がその場面の当事者だとしたらどうでしょうか。与えられた言葉に従うことができるでしょうか。「お言葉ですが」と拒否するか、「お言葉ですから」と従うか。
自分が、素直に従うべき言葉を見抜くことができますように。頑固な態度ではなく、素直な態度になることができますように。正しく判断して「お言葉ですから、やってみましょう」と行動に移せますように。
シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。(ルカによる福音書 5:5)