私はクリスチャンの家に生まれました。キリスト教との関わり方がわかりません。
結城さんはキリスト教をどのようなときに納得できましたか。
幸せでトラブルがない状態、自分は自力でやっていける、私には多少欠点はあるもののまずまずだ、という状態だとキリスト教の意味はまったくわからないと思います。それは、健康な人が病院のことを忘れているのに似ています。
人はしばしば、次のように悟ってショックを受けます。
「ああ、私は、自分の力ではこの世を渡っていくことは絶対にできない!」
「私は何と愚かでみじめでズダボロなんだろうか……」
「私は『ちょいと悪いところもある』なんてもんじゃない。これ以上ない下卑た悪党のリーダーだ。自己中心の極み、他人を顧みない存在だ!」
そういうショックを受けた経験の先に初めて、キリスト教の意味がわかるように思います。
他ならぬ、私もそうでした。
この話の続きはこちらでどうぞ。