##質問
研究職志望の理系大学院生です。最近、聖書を学んでいます。
神さまからの愛を常に感じながら生活するために、どのような心がけが必要ですか?
例えば、研究に夢中になってしまうと神さまとのコミュニケーションが薄くなってしまう。祈りの時間を削って、研究へ投資する時間を増やしたくなってしまいます。
しかし一方で、神さまと一対一の愛をなしたい。また科学の道を進みつつ、神さまという偉大な存在を確信できる人間になりたいのです。
先生の経験を元に、質問にお答えいただければと思います。
##回答
ご質問ありがとうございます。主の御名を賛美します。
直接のお答えにはならないかもしれませんが、思うところを少し書かせていただきます。
食事の時間を削って研究する人や、睡眠時間を削って研究する人がいますが、度を越すと結局体を壊してしまうでしょう。それに似て、祈りの時間を削って研究するのは、大きなものを失う危険性があります。
とても卑近な話をすると、研究しているときに、自分のやっていることには意味がないのではと感じたり、自分の能力に限界を感じたり、あるいはキャリアパスの選択に悩んだりすることがあると思います。そのようなときには、さっと神さまに立ち返り、いつも神様に祈り、自分という存在を「神様の愛の目で見る習慣」がついているのはとても大事です。
人間は近視眼的であり、限られた情報しか持たず、未来を見通せません。けれど、いつも喜び、たえず祈り、すべてに感謝する習慣がついていると、さっと神さまの視点に立ち返ることができます。自分の力がもともと限られていることを再確認できるのです。
そもそも、いま生きていることに感謝し、命を自分に与えてくださった神様に感謝しつつ生活するとき、悩んで不安の中にいる自分であっても、神さまに支えられていることを思い出します。
食事や睡眠は人間の身体と心を支えます。神様に祈ることは、愛なる神様とやりとりすることであり、霊の根底から自分が支えられることになります。そしてそれは、結果的に長期にわたる研究活動を支えてくれるに違いありません。不安や焦りの中で研究するのと、平安と落ち着きの中で研究するのでどちらがいいかは言うまでもないでしょう。
クリスチャンの間では、聖書を読むことは食事にたとえられ、神様に祈ることは呼吸にたとえられます。いつも祈ることは、いつも呼吸するのと同じことなのです。長時間のお祈りもいいですが、こまめに祈るのもいいことです。
研究活動を始めるときに、不安になったときに、本を開くときに、ネットで検索するときに、食事の時に、睡眠の時に……こまめに祈るのはとてもいいことです。安心して、落ち着いて、虚栄を捨て、小さいながらも確かな歩みを進めることができます。あなたの研究活動のみならず、あなたの人生すべてが神さまの祝福で満たされますように!
祈りについては、こちらの読み物もご参考に。
##付記
科学は現代の人類にとって大きな力です。科学者は大きな力のそばに居り、それに関わることになります。力が大きいことすなわち善ではありません。大きな力を持つことには責任が伴います。神さまにきちんと祈り、研究のさまざまな場面において善い判断ができるよう願うことは、大切なことだと思います。