「神が存在する」という主張は、「偶数の素数が存在する」という主張ほど万人にとって明確ではありません。このことは結城さんにとって、神を信仰する上で障害になりますか(質問は編集しています)。
なりません。
逆にもしも、神の存在が数学的に証明できるなら、もはや信じる必要はなくなるので、神は信仰の対象にならなくなるでしょう。
質問への答えとしては、神の存在が万人にとって明確でないことは、神を信仰する上で障害にはなりません。
ちなみに、天国で神に直接まみえるときにはもはや信仰は不要ではないかと私は思っています。そのときには愛のみが残るのではないかと想像しています。
もっとも、コリント人への第一の手紙13:13によれば、信仰と希望と愛はいつまでも残るということですから、私の想像は修正を必要としそうですけれど。
わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。(コリント人への第一の手紙13章より)