結城は「数学ガール」シリーズの中で数学にまつわる対話を描いています。対話を数学やプログラミングと結びつけるとき、それは深い学びへと繋がっていきます。それは結城が大切にしている《対話という形の学び》です。
そしてもう一つ、結城が大切にしているものに《対話という形の祈り》があります。神さまに祈ることはまぎれもなく自分と神さまとの対話にほかならないからです。自分の思いを祈りに託し、神さまの声に耳をすます。これはまさに対話です。
対話に意味があるのはどんなときでしょう。それは対話の相手に人格があるときです。ものいわぬ何かに向かって話しても空しいだけです。何らかの応答があるからこそ、話しかけるのです。相手が愛を持って自分の話を聞いてくれて、そして自分のことをよく理解した上で返事をしてくれるとき、対話はかぐわしいものとなるのです。
何かを問いかけても頭ごなしに否定される対話を求める人はいません。罵倒されることがわかっている対話を好む人はいません。対話は自分のことを理解してくれ、愛を持って応答してくれる相手と行いたいものです。
結城にとって、そして多くのクリスチャンにとって、神さまに祈るというのは、そのようなかぐわしい対話であると思っています。自分のことを誰よりも理解し、誰よりも深い愛で、こちらが語ることになんでも耳を傾けてくれる存在としての神さま。その相手との対話を祈りと呼ぶのです。