心の中を表に出すか出さないか、それを決めるのは本人の自由でなければならない。そして、信仰がある人にとっては、心の中とは神と二人きりで出会う場なのかもしれない。
そんなことをふと思った。
憎くてしょうがない相手がいたとしよう。しかし、その憎しみの心を表に出さないようにしようという意思、それもまた愛の姿の一つだと思う。
自分がある気持ちを抱いたからといって、それを言葉として表に出さなければならない決まりなんてない。心の中を言葉にするかしないかは自分で選ぶこと。
「嫌だな」と思うことと、「嫌だな」と口にすることは大きく違うのだ。