誰しも毎日、不安の中で「じたばた」ともがいている。この世に生きている人は、一人の例外もなく、馬鹿みたいに「じたばた」している。いくら偉そうなことを言ってても「じたばた」してる。だから、偉そうな人をみても焦らなくていい。「ああ、この人は自分をつくろうのがうまいのだな」と思えばいい。
誰しも、他人にかまけている時間はない。自分はどうする。私はどうする。どうする、どうする、どうするよ……と言いながら、人生を過ごすのが大半の人。でも、ときどき、変な人がいる。他人である自分のために、時間を使ってくれる人がいるのだ。
私の妻は、わざわざ、他人であった私のために心を配り、多くのことをしてくれた。数十年にわたって、私のために尽くしてくれた(そして、きっと、これからも)。私はいくら恩返ししても足りない。私は妻と出会って「愛」という言葉の意味を知り、「愛」の重みを知った。
世の中の、多くの、家庭持ちの中年夫婦が賛同してくれると思うのだけれど、自分と結婚してくれたパートナーは「希有な存在」である。私と結婚してくれて、私と人生をともにしてくれて、私のために献身的に活動してくれる。「愛」とは自分のパートナーの別名に他ならないのだ。