あなたの名のために遠い国から来る異邦人が、(略)もしきて、この宮に向かって祈るならば、あなたは、あなたのすみかである天で聞き、すべて異邦人があなたに呼び求めることをかなえさせてください。 (列王紀上 8:41-43 より)
今回の聖書箇所は、ソロモンが主の神殿を建てた後の祈りの一部。
今日の聖書箇所で心に残ったのは二点。自分は聖書の民としては異邦人であること。そして神に呼び求めるということ。諦めるのではなく、自分だけでやるのではなく、神に呼び求めるという態度の意味。
もちろんそこには神への信頼や信仰があるのだが、呼び求めることの背後にある「神との関わり合い」について思う。「神に呼び求める」というとき、「神に解決を求める」だけではなく、「神と関わり合う」ことに意味があるのではないだろうか。自分は生きていて、神と関わり合い、人と関わり合う。私には求めるものがある。だから神と、あるいは人と、関わり合う。
神を呼び求めるためには、自分が弱いという自覚がないと難しい。逆にいうなら、自分が弱いとわかっていれば、神に助けを求めることはやりやすいかもしれない。だとしたら、場合によっては、自分の弱さを知っていることが、大きな強みになることもあるだろうか。
聖書の内容からはやや離れてしまったけれど、今日の聖書箇所を読みながら、そんなことを思っていた。