われわれがこの地に討ち入る時、わたしたちをつりおろした窓に、この赤い糸のひもを結びつけ、またあなたの父母、兄弟、およびあなたの父の家族をみなあなたの家に集めなさい。(ヨシュア記 2:18)
このシーンは、遊女ラハブに助けられた御礼として、今度はラハブの方を助けるための約束をするところです。
命を救うために、ラハブの家がどこにあるかという目印が必要になります。それが「赤い糸のひも」です。この目印がついている家、そこに集まっている人は、討ち入った際にも殺されることはないというのです。
イメージカラーとして登場する「赤い色」といい、命が救われるのが「家単位」であるところといい、出エジプト記の「過ぎ越し」のエピソードを思い出します。
そこでモーセはイスラエルの長老をみな呼び寄せて言った、「あなたがたは急いで家族ごとに一つの小羊を取り、その過越の獣をほふらなければならない。また一束のヒソプを取って鉢の血に浸し、鉢の血を、かもいと入口の二つの柱につけなければならない。朝まであなたがたは、ひとりも家の戸の外に出てはならない。主が行き巡ってエジプトびとを撃たれるとき、かもいと入口の二つの柱にある血を見て、主はその入口を過ぎ越し、滅ぼす者が、あなたがたの家にはいって、撃つのを許されないであろう。(出エジプト記12:21-23)
さらに、連想として「信仰と救いの約束」についても思いをはせます。ラハブの家族は、交わした約束の通りに赤い印の付いた家の中にとどまっていれば、救われます。そこにとどまっているのが誰であるかは問われません。それまでに何をしていたかも問われません。「約束の通りにそこにとどまっていること」が命を救うための条件となっています。
たとえ信仰を得た後も、救いの約束に注意深くとどまっていることにも重ね合わせられそうです。主との約束のうちにとどまっていることが、自分の命を救うことにつながっていくのです。
主との約束の印とはなんでしょうか。「赤い色」であるキリストの血です。十字架でながされたイエスの血は、私たちがあがなわれた印であり、その約束のうちにとどまっている限り命は守られます。主を信じる信仰の約束により、救いが成就するのです。