「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。 ルカによる福音書 1:38
今朝の聖句はマリアさんの言葉。自分には理解できないことが起きたとき、自分の身に驚くことが起きたときの態度のひとつ。「従順」である。従順であることと、それを口で告白しているところがとても大事。「私はあなたを信頼いたします」という宣言をすることの意味。
ガブリエルによって提示された言葉への信頼である。マリアさんは従順を選ぶこともできたし、不従順を選ぶこともできた。自分の身に何かが起きることと、そのときの自分の態度は別物である。自分の状況と自分の態度は独立である。
「従順を選択」したという意味では、従順も自分の意志の表れといえる。「私は嘆きや呪詛や不満を表明するのではなく、従順を選択し、それを告白する」という意志である。
実は多くの行動は、自分の意志の表れといえるのではないか。すべてとは言えないし、十分な選択肢がいつもあるわけではないとしても。
…という考え方は、自分自身にはよく当てはまるけれど、他者に当てはめようとは思わない。特に、いままさに困難にあっている人に向かって軽々しくは言えない。つまるところ、選択というのは(意志・意思というのは)とても個人的な営みであるものだし。