いろんな人が「文章を書けるようになりたい」と願っています。文章を書く力を求めているといってもいいでしょう。いささかぐだぐだになりつつも「文章を書く力」を手に入れる話をします。
そもそも文章を書く力とは何かというと、かんたんにいえば、自分が考えていることを言葉に変換する力といえるでしょう。ですよね? ということはですよ、よく考えてほしいんですが、そもそも自分が何も考えていないのに、文章を書く力を得ようと思うのは何だか変ですよね。空気がないのに風船を膨らませるような、そんな感じがしませんか。いいかえると、文章を書く力について云々する前に「自分はものごとをきちんと考えているのかな」と問いかける必要がありそうです。
そして次の段階として思いつくのは、言葉をあやつるという段階です。自分は有益なことを考えている。それをいかにして効果的な言葉に置き換えるか。魅力的な表現、深い語彙、そして効果的な言い回し。どんなふうに論を組み立てるのか。これを学ぶことは、「文章を書く力」に繋がるのではあるまいか。まったくその通りです。
しかしながら、大きな誤謬というか、大きな盲点があります。それは、自分がどんなに深く考えても、どんなにすばらしい文章技術を手に入れても、すべてを無に帰してしまうような盲点があるのです。それは《なんのために文章を書くのか》という観点です。なんのために文章を書くのか。かんたんです。「読者のため」に決まっています。文章を書く。文章は書かれただけでは紙の汚れ、ファイル上のビットパターンに過ぎません。文章というものは、「読者がいて初めて意味を持つ」のです。フリーズドライのぱさぱさ果汁が、水を得て初めて生き返るように。
結城はいつも、何回も《読者のことを考える》というスローガンを語ります。なぜか。なぜならそれが大切だから。それこそが、文章を書く意味であり、文章を書く意義に繋がることだから。いくら自分が考えても、自分が死ねば無意味です。いくらたくみに言葉を操っても、読者がいなければ無意味です。だって、もともと、文章というものは《著者と読者を結ぶため》にあるものなんですから。ですよね?
ですから、読者のことを考えない著者は滅びる運命にあります。そのような著者を非難しているわけではないですよ。重力にしたがって落ちる重りの加速度を述べることが非難にあたらないのと同じく、読者のことを考えない著者のことを述べても非難にはあたりません。
なるほど、確かに、読者のことを考えていないように見える、有名な著者は存在します。でも注意深く観察してください。ぜったいに読者のことを考えていますから。たとえば自分の文章がどのように読まれるかについて意識をしている。あるいはまた、自分自身が理想的な読者としてダメ出しをする。あらわれはいろいろです。でも、きちんとした文章を書く著者は、確実に《読者のことを考える》という原則に従っています。それを意識している人も、意識してない人もいますけれどね。
ですから、話は簡単です。もしもあなたが「文章を書く力」を手に入れたいと願うなら、きちんと考えること。自分の考えを言葉にうつす技術を磨くこと。そして何よりも、
《読者のことを考える》こと。
結城はいつも、いつでも《読者のことを考える》という一言をあなたに伝えたいと思っています。文章を書くあなたに。なぜならそれがとても大切なことであり、しかし身につけるのにとても時間が掛かることだからです。とても時間が掛かります。
『数学文章作法 基礎編』
これは《読者のことを考える》という《たったひとつのこと》を、他の誰でもない「あなた」に伝えるために書かれた本です。